記憶の旅-Journey of his memory-

知人が遺した文章を載せるため、また自分が読むためのブログです。

【記憶の旅-4】トラファルガー広場とアンダーグラウンド

 さて、観光のスタートである。 
 そこでぼくはまずヴィクストリアステーションで、市バスとアンダーグラウンドのパスを買い求めた。これは何日間か有効な市内交通、バスと地下鉄のフリーパスで、できるだけ交通費を節約したいツーリストには必需品だった。ぼくは確か3日間有効なパスを買ったのだった。 
 パスを手に入れるやいなや、ぼくはさっそくダブルデッカーに乗ってみた。目的地はトラファルガー広場である。バスの路線図は複雑だったが、たぶんこれだろうと思ったバスに乗る。ところがそれは違う路線で、途中で降りては現在地を地図で確かめ、また違う路線に乗って・・・ということを繰り返した。なかなかトラファルガー広場には着きそうにない。しかし構うものか。迷いながらなんとか目的地にたどり着くプロセスがなんとも言えず楽しいのである。時間はいくらでもあるし、こちらにはフリーパスという強い味方があるのだ。 
 なんだかんだ言ってたどり着いたのが、トラファルガー広場。 
 おのぼりさんが集まるところは決まっている。ニューヨークといえばタイムズ・スクエア、東京といえば新宿アルタ前(ほんとか?)、そしてロンドンではトラファルガー広場。 
 ナポレオン軍を撃破したトラファルガーの海戦を記念して作られた広場で、中央にネルソン提督の像、そしてイングランドを象徴するライオンの像がある、往時のイングランドの繁栄を象徴するモニュメント。それ自体はどうということはないのだけれど、イングランドに来たー、という感触を味わうにはやはりこの場所だと決めていた。 
 さて、行ってみるともの凄い人である。この日は週末だったんだろうか?夥しい人々が広場を埋め尽くしていた。渋谷の街中並みである。さらに驚いたのは異常な数の鳩だった。ひょっとして人の数より多いんじゃないか?鳩たちはモニュメントの上に止まり、人々の間のスペースに止まり、さらには人にも止まっていた。もちろん、その人は鳩を止まらせてやってるのだろうが、その中に一人、頭、両腕、肩に鳩を10数羽止まらせた老人がいたのには思わず笑ってしまった。老人は口を開けて何かを叫んでいるようだったが、哄笑しているのか、助けを求めているのかわからない。ぼくはぶら下げてきたカメラのシャッターを切った。それがこの旅で一番最初に撮った写真だった。 
 とにかく広場中お祭り気分である。しばらくその雰囲気を楽しんでいたが、次に、広場に隣接するナショナル・ギャラリーに足を運ぶことにした。 

 たぶんナショナル・ギャラリーはイギリスで最大の絵画コレクションがある美術館なのだが、正直に言ってあまり印象は残っていない・・・。記憶に残っているのは、やたらごみごみした館内の印象だ。人も確かに多かったが、とにかく建物自体が小さいのだ。絵と絵の間隔がとても詰まっていて、ところ狭しと絵が置かれている感じなのだ。ここでの目玉であるダ・ビンチの「岩窟の聖母」は目立つ位置に置かれていたが、フェルメールレンブラントティツィアーノもうっかりすれば見逃すぐらいの扱いである。それに有名な作品を見ても、「あ、この絵がここにあったのか」という感じで、絵から何かを感じるような経験はなかった。 
 そんなわけで、なんとなく物足りない気分でギャラリーを後にしたのだった。 
 さて、ロンドンのシンボルであるダブルデッカーに乗ってみたものの、何度か乗り間違いをしたのに懲りて、ぼくは今度は地下鉄に乗ってみることにした。バスの路線図はおそろしく複雑な上に、交通渋滞でひどく時間がかかる。そこで地下鉄の路線図と普通の地図を見比べて、目的地にまでに乗る経路をつかんで移動したのだが、これが思いがけず楽しい冒険だった。 

 地下鉄のことをパリでは「メトロ」、といい、ニューヨークでは「サブウェイ」と呼ぶ。 
そしてロンドンでの地下鉄の呼び名は「アンダーグラゥンド」(Underground) だ。 
 さらに言うと、アンダーグラゥンドとはロンドンを走る地下鉄の路線のことであって、地下鉄そのものは「テューブ」(tube) と呼ばれている。つまりチューブ、管のことだ。 
 なぜそう呼ばれているか。 
 最初に地下鉄のホームに立ったときには、上が半円になっている穴を見て狐につままれたような気になったものだ。なんだこれは?ここから地下鉄が来るのか?そうでないはずはないよな…。でもなんだこの形は?それに、ちょっと小さすぎないか?こんなに小さい乗り物がくるのか?待っているとやがて、そのカマボコ型の穴から、その穴よりもわずかに小さいだけのカマボコ車両が「うに~」と押し出されるようにやってきた。なるほどこれはチューブだ、と見た瞬間の納得である。 
 それにしてもその大きさが、日本の地下鉄よりも一回り小さいのではないかと思うようなサイズなのだ。屋根が丸いぶん小さく見えるとしても、よくて同じ幅だ。車内がまた天井が円いだけに圧迫感があり、非常に狭苦しく感じるのだ。体格のいいイギリス人がよく乗ってるな、と感心してしまった。 
 ロンドンのカマボコ型の地下鉄は昔からそうゆうデザインだったにちがいない。トンネルも当時、その形でつくられ、すると後代に作る車両はみんなそのトンネルに合わせざるおえず、今日に至ったのだろう。ロンドンの地下鉄が開通したのは19世紀のことだから、当時の規格がそのまま生きているわけだ。 
 ロンドンの地下鉄は世界一古いだけあって、駅の構内もまた見所だった。チェアリングクロスという市の中心部の駅などは地上に出るまでに、曲がりくねった地下道を通っていくのだが、パイプが剥き出しで工事の途中で放棄して何十年もたったような階段が途中にあり、ほんとにこれが地上への道なのかと不安になったものだった。 

 古いと言えば、いくつかの駅で見た古いエスカレーターには仰天した。 
 なんと、木製なのだ。ステップも木製なら、両側の部分も木製。そんな古びたエスカレーターが、ガダダダダダッと音をたてながら、日本の倍ぐらいの早さで動いているのだ。最初に出くわしたそれは下りエスカレーターで、地下3階分ぐらいの深さを吸い込まれるように下っている。思わずステップに乗る手前で立ちつくしてしまった。しばらく他の人が乗るのを見て、ステップの速度を見定めて、やっと乗ることができたのだ。当時、東京で一番長いエレベータは千代田線の新御茶ノ水駅のものだったが、それに近い長さのものはざらにあるように思えた。 
 また今では日本でも普通に見られる光景だが、エスカレーターに乗る人々が必ず左側を空けて乗るのも、ぼくには新鮮だった。それが頭をツンツンにとがらせたパンクファッションのお兄ちゃんだろうが、ぼくの見た限り例外なかった。さすが紳士の国、と感心したものだ。 
  
 かと思うと、また違う日にはこんな光景も見た。テムズ河畔に向かう路線に乗っていたときのことだ。ぼくはつり革につかまって立っていたのだが、テューブは駅をまさに出ようとするところだった。「ピューッ」と音がしたかと思うと、男の子が2人、突然ぼくの脇をすり抜けて閉まりかけた扉からホームへ飛び出した。何事かと思ってあたりを見ると、席に座って新聞を広げていたおじさんのやや薄くなった頭に、色とりどりのビニールの管のようなのがいっぱい垂れ下がっている。 
 さっきの男の子たちの仕業で、クラッカーのようなものを見ず知らずのオジサンにかましたのだ、と気づくのに時間はかからなかった。イタズラされたおじさんは、子供たちの行方を見ていた目を、頭にかぶったビニール管はそのままに、新聞にもどした。目は新聞を見据えてはいだが、そのビニールに埋もれた額がだんだん紅潮していくのは隠せなかった。ぼくはそこであわてて目をそらした。それ以上見ていたら、笑い転げてしまいそうだったからだ。 

 落書きはいずこの国でも同じだが、日本でも見ないようなものを見たことがあった。グリーンパークという駅のホームに書いてあるやつだった。 
"KILL ROYAL PIGS" とスプレーで書かれている。「殺・王族豚」といったところか。そういえば不思議と日本でこの手の落書きは見ないなぁ、と思って見ていた。 

 このアンダーグラウンドの駅は、第二次世界大戦でドイツ空軍のロンドン空襲が続いたとき、防空壕として使われたという。 
 この地下にひろがるアンダーグラウンドの空間は、それ自体が生き生きした魅力をもつひとつの世界だった。 
  
 近年、ロンドンのアンダーグラウンドを舞台にした『チューブ・テイルズ』というオムニバス映画が作られたが、これを見たときには実に感慨を感じたものだった。