記憶の旅-Journey of his memory-

知人が遺した文章を載せるため、また自分が読むためのブログです。

【記憶の旅-2】ロンドンは寒いですか?

 機は中東のバーレーンで給油し、現地時間の朝8時ごろロンドンのガトウィック空港にまもなく到着しようとしていた。いったい何時間機内にいたのかわからない。まる1日は機内にいたような気がしたが、おそらく20時間弱ほどだろう。ヨーロッパ上空を通過しているとき、下には一面の雲が広がっていた。客席のスクリーンに映ったヨーロッパの天気図もヨーロッパ中が曇りであることを示していた。 
 ロンドンが近くなり、機が高度を下げて雲の下へ出ると、ドーバー海峡が眼下に広がっていた。なおも高度を下げていくと、土地の様子がはっきりと見えだしてきた。日本の郊外と同じように木々や、点在する家や、畑がただひろがっているだけの風景なのだが、そこは日本とは全く様相が違っていた。何が違うのかはうまく説明はできない。色彩、配置、木々の形、どれをとってもまさに「英国風(イングリッシュ)」なのだ。 
 まるで絵本から飛び出してきたように、農地が、柵が、農道が、家屋が、林が、完璧な配置で並んでいるのだ。その絶妙さはなんとも言い表せない。 
 ぼくの席の隣には、途中の香港からヘミングウェイのような髭をはやした老年の男性が乗っていた。振り返ると彼も身を乗り出してじっとその風景を見ている。高度がいよいよ下がり、低木の畑がはっきりと見えてきた。そのうねり具合、緑のくすんだ色合い、それがまた何とも言えない詩的な風景なのだ。ぼくは思わず老人に向かって呟いた。 
「ビューティフル!」 
「イエス。」彼は肯いた。 
「ビューティフル」 
その言い方には誇りが感じられた。彼は故国に帰ってきたイギリス人なのだな、とその時にぼくは了解した。 

 空港に着くと、乗客は2つのグループに分けられた。イングランドのパスポートをもっている乗客と、そうでないものだ。 
 それから入国審査がはじまった。やっと長旅を終えてほっとしていたぼくは、ここで思わぬ緊張にさらされることになった。ぼくの並んだ窓口の審査官は四角い顔をしたおばさんだった。彼女はぼくのパスポートに目を通し、「審査」が始まった。 
「目的は?」 
「観光です」 
「滞在期間?」 
「2ヶ月です」 
本当はもう少しいるつもりだったが、ぼくはそう答えた。 
「2ヶ月?その間の滞在地は?」 
「それからヨーロッパをぐるっと回ります」 
「ぐるっと?どこの国ですか」 
ぼくにはまだ何のプランもなかったが、その場で作るしかなかった。 
「フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、それからフランスです」 
「どこから日本に戻るのですか?」 
「あっ、それからロンドンに戻って、そこから発ちます」 
「職業は?」 
「学生です」 
「今、大学は休みじゃないはずですが?」 
 ぼくは少し慌てた。 
 そもそもぼくの在籍していた私立大学は、ゴールデンウィークを過ぎたらばったり学生の姿がなくなるというところである。そうゆうところに4年も通っていたぼくは、本来それは国際的に通じるはずのない現象だということに気づいた。ここで日本の私立大学の学生の生態を説明して、カルチャー・ギャップを埋めようと努力しても話がややこしくなるだけだ。顔の筋肉を固定して、「俺、疲れてるんだけど」という表情が崩れないように注意を払いながら、ぼくは大うそをついた。 
「はい。しかし、ぼくはほとんどの単位をクリアしてまして、あとはレポートを提出するだけなんです」 
 審査官はしばし、疑わしげに沈黙していた。その間ぼくは「長旅に疲れた顔」を保ち続けていた。審査官はさらに言った。 
「あなたの専攻は何?」 
 どこまでツッこんでくるんだ、このオバサンは。 
政治学です」 
 頼む、これ以上のツッこみはやめてくれ。ぼくは祈り始めた。 
しばしの沈黙の後、やがて審査官は言った。 
「帰りの便のチケットは持ってますか」 
「あ、はい」 
 ぼくの帰りのチケットはオープンだったが、仮の日付がはいっていた。 
 それを一瞥するとそのオバサンは何も言わずにぼくのパスポートを引き寄せ、ドン、と入国スタンプを押した。 

 イギリスの入国審査は厳しいぜ、と友人に言われたことをぼくは思い出していた。 
彼がイギリスに入国するときは一晩、入国管理局に泊められたそうだ。 
 しかし彼はヨーロッパをヒッピーのように放浪していて、海路で上陸しようとしたところを止められたのある。こちらは堂々と正面玄関から入国するのだ。それとは事情が違う。まぁ、大丈夫だろうと思っていたが、それは甘かったのだった。イギリスという国は当時、外から流入する若者に非常に神経を使っていた。要するに就労ビザを取らずに、そのまま働いて居つく外国人が跡を絶たないのだ。ぼくみたいな如何にもフラフラした若造は特に警戒されてたんだろう。 
 それにしても、とぼくは思った。なぜ帰りのチケットを見せて済むなら、最初からそう訊かないのだ?あれでは効率が悪くてしかたあるまい。若い旅行者を見るたびに、あんな質問を繰り返しているのだろうか? 
 ご苦労なことである。 

 次の問題は、どうやってロンドン市内に行くかだった。 
 この便のチケットを買うとき、受付の女性に「この航空会社ですと、到着地はヒースローではなく、ガトウィックになってしまいますが、よろしいですか?」と確認されたが、そのときは「London, Gatwick 」という表記を見て、別にロンドンに着くならいいや、と気にもとめなかった。しかし、「なってしまいますが」という響きの裏には、やはり理由があったのだ。空から見ていたときにも、都会を感じさせるようなものは周囲にまったく見あたらなかったので、少し不安を覚えたが、やはりこの空港は成田ほどでないものの、都心からはかなり離れた場所に位置する空港だったのだ。 
 空港に乗り入れているロンドン行き列車の時刻表を見て、やれやれと思った。ロンドンまで待ち時間を入れてあと1時間半はかかるのだ。その運賃も10ボンド(約2000円)ほどでけっこう懐に響いた。しかし、他に手だてはない。とにかく早く市内について宿を決め、一息つきたかった。 
 車内は空いていて、ゆっくりと身体を伸ばすことができた。真新しい車両は実に清潔感があって、気分もくつろいだ。列車が動き出すと、ようやく張り詰めていた緊張が解けてきた。結局、機内ではほとんど眠っていなかった。この長い最初のプロセスもやっと一区切りして、あと1時間ほどでやっと最初の目的地、ロンドンに着く。やっと旅が始まるのだ。ロンドンにはどれぐらい滞在しようか。どこを見て回ろうか。…ぼくの中に、旅に出た高揚感が戻ってきた。 
 そこへ、乗務員がチケットを確認しに来た。ぼくはチケットを見せたあと彼に「ロンドンは寒いですか?」と訊いた。別に必要があった質問ではなく、ただぼくは無性にこの地の人と話をしてみたかったのだ。ところが、彼はきょとんとした顔をしている。どうやら通じなかったらしい。「ロンドンは、寒いですか?」とぼくは同じ質問を繰り返した。ところが彼はますます当惑した表情になり、助けを求めるように1つ奥の席のおばさんたち3人を見た。おばさんたちはすでにこちらに注目していた。 
「ロンドンは、寒い、ですか(Is it cold in London)?」ぼくはまた繰り返した。すると、おばさん達は乗務員と顔を見合わせ、そしてその中の一人が言った。 
「ミスター、1ポンドは12シリングですが、100セントで1ボンドですよ」 
 確か、そのように言ったと思う。今度はぼくが相手の言葉をよく聞き取れなかったのだ。今度はぼくが呆気にとられた。どこをどう聞き違えたらそんな答えになるのだ? 
「No,No,ぼくは、ロンドンは、寒い、ですか、と言ったんです」 
 すると、今度はおばさん達が一斉に協議を始めた。「彼が言ってるのはこうよ。」「いや、こう言ってるんじゃない?」 
 そして、さっきのおばさんが言った。 
「あの、1ポンドは12シリングでセントでは100セントなんですよ」 
 何故、このたった5語の言葉が通じないんだ? 
 今や、乗務員もおばさんたちも、固唾をのんでぼくの反応を待っている。おばさん達の中には怯えの色さえうかんでいる。たった一言からえらいことになってしまった。しかし、なぜ通じないんだ?やはり、あれかな。Lの発音が悪いせいか?今度はこうだ。 
「IS – IT – COOOLLLLLLLLD – IN – LLLLLLLONDON ?」 
 彼らはシーン静まりかえっている。通じてねぇっ、と直感して次はゼスチュア入りでやった。 
「IS – IT 」と言葉を2つ、空中にドン、ドンと置き、 
「COOOLLLLLLLD」と、肩を震わせ、 
「in LLLLLLONDON ?」 で列車の進行方向を指さした。 
 なんだ、という顔をして乗務員が答えた。 
「ええ、まぁそうです。この季節ですから」 
 おばさん達もほっとした顔をしてまた、彼女たちのおしゃべりに戻っていった。ぼくもまたほっとするにはしたが、たったそれだけの言葉が通じなかったことにひどく打ちのめされていた。やはり、本場ではぼくのいいかげんな英語など通じないのか…。今の会話でこれだけモタモタしていたらこの先が思いやられる…。 
 それにしても何故、シリング云々の話になったんだろう?そんな通貨は、とっくに廃止されていたのに。それともぼくの聞き違いだったのか。。。 

 そうしているうちに、回りの景色は変わり、列車はいつしか工場や倉庫立ち並ぶ区域に入っていった。暗い曇り空を背景に、それはひどく陰鬱な風景だった。突然、ぼくの目に見慣れたものが映った。ピンク・フロイドのアルバムのジャケットだ。『アニマルズ』というアルバムのジャケットには、確かロンドンの発電所が使われている。 
 荒涼とした風景の中で、それがドキッとした瞬間だった。 

 そしてしばらくして列車は終着駅に到着した。 

 ヴィクトリアステーションはロンドンの南にあるターミナル駅だ。広大な空間に何本もの線路が乗り入れ、ここで終わっている。日本で似た光景といえば上野駅ぐらいだが、ヨーロッパではこれが普通だ。これは旅を続けていくうちに気づいたのだが、ヨーロッパの多くの大都市の駅は市街区の縁にあり、長距離を結ぶ鉄道はそこから発し、そこで終わっている。そして市街区内は市バス、あるいは地下鉄といった市内の交通機関で移動する。要は、都市間を点と点をつなぐように結んでいる長距離路線と点である都市の中を巡っている市内交通、というのにはっきりと分かれるのだ。ターミナル駅というのは字のごとく、都市間を結ぶ線路の終端(ターミナル)なのだ。知っている人間には当たり前のことかも知れないが、それからいくつもの街を巡っていくうちに、ぼくは普段何となく使っていたこの言葉の意味するところを実感することになる。ヨーロッパでは都市の独立性が高いというのか、都市の「内」と「外」が非常にはっきりしている。だから、市街地がだらだらと続く日本とは違い、都市から都市へ移動していると、はっきりと一つの点から次の点に向かっていることを意識する。時には次の「点」につけば、そこが言葉も習慣もまったく違った世界だったりするのだ。ターミナル駅とはまさしく、それまでの旅の終端であり、新しい街の入り口なのだ。 

 そして、ぼくはやっと旅の入り口に立ったのだった。